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「自生山」の額が掲げられた山門の扉には、向かって右側に口を開けた阿形、左側に口を閉じた吽形の仁王像がそれぞれ彫られ、邪気を祓っています。昭和51年松久宗琳師の作で、力強さの中に親しみやすさも感じられます。心清らかに山門を通り、自然智を感じられる境内へお進みください。
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山門をくぐり抜けると、数百年を経た杉椿の樹林に囲まれ、江戸期に寄進された石灯篭が並ぶ静謐な参道が真っすぐに伸びています。その空気はまさに幽邃にして森厳。なお、杉並木は小松から那谷寺にいたる「御幸街道杉」の一部で、寛永年間に加賀藩三代藩主前田利常公が植樹したものです。
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十一面千手観世音菩薩をお祀りする金堂は、平成2年(1990年)の再建で鎌倉時代の和様建築様式、総桧造りです。南北朝の戦火で消失以来、650年ぶりに再建です。京佛師・松久宗琳師作の十一面千手観音は木曽檜の寄せ木つくりで7.8m、金堂の中で厳かに鎮座されています。ほかに白山曼荼羅、泰澄神融禅師、花山法皇像を安置し、壁面は郷土出身の作家による神仏融合の白山信仰を表す作品で飾られています。
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書院は、室町時代末期に起こった天正の戦乱で、諸堂伽藍が焼失したのち仮御堂として建てられたもので、寛永14年(1637年)に前田利常が書院として再建、自ら指揮を執ったと言われています。武家書院造りで一間ごとに柱が入り、特に玄関は珍しく土天井であるなど、他の書院造りでは見られない特徴が随所で見られます。御成間(おなりのま)、琴の間、4畳、8畳の2室、10畳の鞘の間、床棚などからなり、一重で屋根は入母屋造(元は柿葺)でした。昭和28年(1953年)に国指定重要文化財に指定されました。(※特別拝観)
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書院から見える庭園は、茶道遠州流の祖である多芸多能の天才茶人・小堀遠州の指導を受け、加賀藩の作庭奉行・分部卜斉に造らせたものです。園中に歩石を布置し、所々に石を建て、椎の老樹、杉の巨木が配されています。いずれも苔に覆われた古色ゆかしい庭です。石川県で最も古い庭園で、昭和4年(1929年)4月2日に文部省名勝指定園になりました。(※特別拝観)
庭園の北西隅にある茶室『如是庵』は、前田利常のために千家4代の仙叟が建てたものです。隠居後の利常はこの茶室をご愛用されました。小間の茶室で草庵風を基にしていますが、貴人口のみでにじり口が無く、大きく円窓や連子窓を取り、点前座客座の隅にも戸口を設けるなど異彩を放っています。
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書院奥にひろがる庭園「琉美園」の池中央にそば立つ自然の岩面は3つに別れ三尊石と呼ばれています。岩面の裂けた姿が阿弥陀三尊のご来迎に似ていることから名付けられました。江戸時代には滝が流れ落ちていたこともあり、現在も多くの雨が降ると滝が流れるさまを目にすることができます。晴天時と雨天時、それぞれの神々しい自然のお姿に思わず手を合わせたくなることでしょう。琉美園には小川が流れ、水芭蕉、しゃくなげ、あじさい、つつじが綺麗な彩りをみせてくれます。その一角には茶室「了了案」があります。
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昭和40年、白山麓旧新保村の春木家の家屋を譲り受けて移築し「普門閣」としました。春木家の祖先性善坊は親鸞聖人の諸国遍歴に従い、離別の際に光明本尊の御影を賜り、大日山新保の地に道場を開き、のちに永平寺再建にあたった棟梁が弘化4年(1847年)から3年がかりで完成させました。欅造りの雄大な豪農の民家様式で、中では宝物館、休憩所、ミユージアムショップがあります。那谷寺名物ごま豆腐や旬の精進昼膳(要予約)が人気です。ごま豆腐は全国発送いたしております。
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そそり立つ奇岩霊石に、いくつもの窟が開口して観音浄土浮陀落山を思わせます。昔は海底噴火の跡であったと伝えられ、永い年月の間、風と波に洗われて現在の奇岩が形成されました。自然を通してその本源である宇宙を拝みながら、素朴に生きようと望む心の奥深くの自然智を呼び起こす景観で、平成26年に「おくのほそ道の風景地」として新たに国名勝に指定されました。その奇岩山の中腹に、朱色の鳥居が鮮やかな稲荷社をお祀りし、五穀豊穣と豊かな自然をお祈りしています。
※現在、安全と景観保護のため立入禁止となっております。
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古来より涸れることなくこんこんと湧き続ける霊水。お手持ちの念珠や指輪などに願いを念じながら霊水をかけると、不動明王の加護を受けられると言われています。清浄な心身でお手を合わせてお受けください。当寺のパワースポットの一つです。
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一向一揆の兵乱で荒廃しましたが、前田利常公の庇護により寛永19年(1642年)に再建されました。本殿は「大悲閣」と呼ばれ、岩壁に寄って屋根を造らず唐木造、向拝、柿葺となり、四方の欄間に山上善右衛門作の透かし彫りが施されています。昭和16年(1941年)に国宝指定を受け、昭和24年(1949年)に解体修理、昭和25年(1950年)に重要文化財に新指定されました。大悲閣拝殿・唐門・本殿の3つの重要文化財建造物を総称して本殿と呼んでいます。中には本尊の十一面千手観世音菩薩を安置する「いわや胎内くぐり」があります。ウマレキヨマル場所をご体感ください。
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寛永19年(1642年)、徳川家綱の生誕祝に前田利常が建立したものと伝えられています。三層とも扇垂木の手法で各層ごとに組み立てられており、扉に浮き掘りされた唐獅子と牡丹と相まって美麗です。内には胎蔵界大日如来を安置しています。昔の修験者は大日如来をまつりました。元は那谷寺根本堂の本尊でしたが南北朝の戦乱で建物が焼かれた際、白山宗徒の手により火中から運び出されました。昭和16年(1941年)に国宝指定を受け、昭和25年(1950年)に重要文化財に新指定され、昭和30年(1955年)に解体修理しました。
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奇岩遊仙境を眼下に展望台へとつながる高台の橋から見る眺望は、当寺屈指の景勝をお楽しみいただけます。寛永時代に前田利常公が計画し、現代になってようやく実現したものです。那谷寺が織り成す四季折々の美しさや歴史を感じながらゆっくりとご散策ください。
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展望台からの奇岩遊仙境の眺めは心に焼き付くほどの美しさで、季節を問わず「境内で最も美しい眺め」と称されています。展望台の上にある鎮守堂では、秀麗な白山の神様であられる白山妙理大権現をお祀りしています。
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寛永年間に建てられ、昭和16年(1941年)に国宝指定を受け、同年に解体修理、昭和25年(1950年)に重要文化財に新指定されました。禅宗様を基調にしながら、和様の手法を折衷させた自由奔放な設計です。内部は豪華に金の箔押しを施し、壁面には沈思や柔和、雅戯などの八相唐獅子、四面には干支の動物と牡丹を彫刻し、内陣には平安時代作の不動明王をお祀りしています。
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寛永年間に建てられ、昭和16年(1941年)に国宝指定を受け、昭和25年(1950年)に重要文化財に新指定され、昭和28年(1953年)に解体修理しました。入母屋造、檜皮葺の純粋な和様建築で袴腰の上部まで石造となっているのは、全国でもその例がないものとされています。内部に吊るされている鐘は、朝鮮招来のものと伝えられています。
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那谷寺の庚申さんとして昔から親しまれています。心の中で願いながら「南無青面金剛(なむしょうめんこんごう)」と3回お唱えしてお参りください。庚申さんの強い力で障害を取り除き願い事を叶えてくれることでしょう。粟津温泉の恋物語の主人公たちも恋の成就のお礼に参詣したといわれています。毎年1月の第2土曜日の縁結びまつりでは縁結びの赤い糸のお焚き上げを行っています。
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元禄2年(1689年)、俳聖・松尾芭蕉が参詣し、「奇石さまざまに古松植ならべて、萱ぶきの小堂岩の上に造り、かけて殊勝の地なり。」と「奥の細道」で那谷寺を表現しました。句碑は天保14年(1843年)芭蕉150回忌に建立したものです。