1300年の歴史の中で、那谷寺は白山を拝し、神仏を共にお祀りしてきました。そのため九頭竜王の本地である十一面千手観世音菩薩、白山比咩神、そして魂が「ウマレキヨマル」儀式の場である自然の岩山洞窟をご本尊としています。
那谷寺を開創した泰澄が居た時代は、神と仏、両方を受け入れやすかった頃と言われています。当時、奈良の吉野山で渡来僧の神叡が「虚空蔵求聞持法」と「自然智行」を伝授していました。泰澄はそれを修し、実践して今に至っています。
自然智は小さな草庵や岩屋の中で、自然より得られる生まれながらの智恵を求める行です。那谷寺は深山で緑に包まれ、岩屋を有していたため、自然智の道場となりました。自然とは「自ずから然る」。神も仏も宇宙の法則に帰す、「自然こそ神仏」の教えを大切に守り続けています。
那谷寺を開創した泰澄が居た時代は、神と仏、両方を受け入れやすかった頃と言われています。当時、奈良の吉野山で渡来僧の神叡が「虚空蔵求聞持法」と「自然智行」を伝授していました。泰澄はそれを修し、実践して今に至っています。
自然智は小さな草庵や岩屋の中で、自然より得られる生まれながらの智恵を求める行です。那谷寺は深山で緑に包まれ、岩屋を有していたため、自然智の道場となりました。自然とは「自ずから然る」。神も仏も宇宙の法則に帰す、「自然こそ神仏」の教えを大切に守り続けています。
古来、洞窟は「岩屋」と呼ばれ、住まいとしても使われてきました。そして、洞窟は死と葬の場でありながらも他界への入口、すなわち母の胎内とも見られ、胎内に籠り、生まれ、また戻って再生をするというはたらきを、現実的にも伝承の上でも負っていると考えられています。実際、縄文時代には住居の入口に死産児を瓶に入れて埋葬し、常にそこをまたいで通る母の胎内に再び生まれることを願いました。
岩屋を巡る「いわや胎内くぐり」を巡ることで、この世の罪を洗い流し、再び母の胎内より新しい自分に白く清く魂が生まれ変わり、出直すことを祈ることになります。黄泉から帰り、禊をして清まる。あの世からこの世に生まれるという魂の輪廻転生を感じ取れることでしょう。
日本古来の祈りの儀式、神道火祭りは国内では唯一那谷寺のみ行なっています。白山信仰を受け継ぎ、自然智の教えにより霊峰白山を遥拝しています。
自分の、あるいは人のための願いや想いを書き記した「符」を、那谷寺本殿内の十一面千手観世音菩薩にご祈祷します。次いで、那谷寺より約8km離れた役行山生雲(えんぎょうさんいくも)祈願所にてご祈祷し、願いの符をお焚き上げします。この煙が天に昇り、霊峰白山の神々へとお届けし、魂を鎮め、心を平安にするのです。さらにはその向こうにある宇宙世界の曼荼羅の神仏たちへもお届けされ、お守りされます。
役行山生雲祈願所では、泰澄が会得した「自然智」を古代神道の伝統を守る神道火祭りとして現し、さらに瞑想場も設け、白山信仰を守りながら「神は自然なり」の摂理を実践しています。
自分の、あるいは人のための願いや想いを書き記した「符」を、那谷寺本殿内の十一面千手観世音菩薩にご祈祷します。次いで、那谷寺より約8km離れた役行山生雲(えんぎょうさんいくも)祈願所にてご祈祷し、願いの符をお焚き上げします。この煙が天に昇り、霊峰白山の神々へとお届けし、魂を鎮め、心を平安にするのです。さらにはその向こうにある宇宙世界の曼荼羅の神仏たちへもお届けされ、お守りされます。
役行山生雲祈願所では、泰澄が会得した「自然智」を古代神道の伝統を守る神道火祭りとして現し、さらに瞑想場も設け、白山信仰を守りながら「神は自然なり」の摂理を実践しています。